伸び切って弾ける寸前の輪ゴムの様にひどく疲れ果てたとき、完全な静寂はいつも突然降りかかる。一瞬ですべてが静寂に包まれ、突然、今まで気づかなかったすべての音が聞こえるような新しい感度を得る。「窓の外を見ると、遠くの森に風のリズムで光と影が映し出されていた。私の視線は釘付けになってしまった。」写真家 ホルン・タンは光の線が消えゆくような場面にいつも心を奪われる。前触れもなく、身動きも取れないような日常的思考からの離脱は突如訪れる。流れに身を委ねれば、ゆっくりと心が満たされ行く濃密で至高のひと時へと変わる。
自分を抱えきれなくなった時、タンはカメラを手に明かり先を求め森へ駆け出す。木の枝は伸び伸びと広がり、トラックに焦点を定めたランナーのようにその枝の先を見つめた。「一つのことに完全に集中しているとき、世界は全く存在しないかのように遠く感じる。」理屈で考えず、シャッターを切る。作家の個性と運に任せ、タンの思う完璧さが一つのロールフィルムに形を残して行った。『36』はロールフィルムの枚数に由来し、撮影順に忠実に最初の一枚から最後の一枚までが収められたノーカットシリーズ。
「この本の写真の殆どが相似しています。 実際、アナログ写真はプレビューができないので、個々の撮影前に微調整をしただけですが、この曖昧な繰り返しのプロセスが全く新しい特性を生みました。 ショット毎にある種の残渣を残し、次への波及を繰り返し、最終的に強い肯定感が全体に現れたのです。」この撮影で生まれた景色は、定められた形式から解き放たれ、流動的に写し出されている。 森の中を絶えず変化し波打つ光の筋、決して模造できない自然現象や多種多様な人間性、全てが彼の表現する景色と響きあう。
『36』は、長い帯状のロールフィルムを模したアコーディオン製本を用い、最初と最後のページの境界をなくすために、意図的に前面と背面のカバーを省いた。文章箇所の干渉を最小限に抑えたミニマルデザインで、始まりと終わりのない永遠のループをイメージした。ハードカバーのない剥き出しのページは、アコーディオン製本の典型的な様式の制約から解放されている。カジュアルかつオープンなフォーマットは読者の手で輪郭が変わるユニークな形態で、あらゆる種類の新しい発見の可能性を秘めた読書体験ができる。
タン・ホルン(Tang Ho Lun)
写真家。1984年香港生まれ。2013年より数多くの写真集を個人出版。2018年にテキストからデザインまで全てを統括し作品の完成度を高めることを目指し、自身の出版社を設立、同時に写真集『36』を出版。写真スタイルは静かで神秘的。 他人には些細に映る日々の事柄などのイメージに惹きつけられる。隅の暗がりにゆっくりと流れる時間を捉え、 筋書きのない物語を写真で紡ぐ。